
忘れられない過去
自分がした意地悪を猛烈に後悔したことがある。
よく意地悪などは、したほうは忘れていることが多いがされたほうは覚えているものだと言われるが・・・
したほうも強烈に覚えていることがある。
子供の虐待のニュースなどを見るたびに思い出す。
小学校1年生の時のはなし。
小学校に入るまでは、私の友人の範囲はご近所の子供たち。
私が住んでいた家は商店街だったから、みんな同じ保育園に通っていた。
親もみんな知り合いで、遊ぶのもご近所。
小学校に入って、初めてご近所ではない友達と遊んだ。
放課後は、一旦家に帰って小学校のグランドに集合。
遊ぶ場所は小学校とその周辺。
その中に洋子ちゃんという子がいた。
当時、学校の売店(学校の外にあった)に置いてあった色々な香りの消しゴムを集めるのが流行った。
イチゴ、ぶどう、バナナなど・・・一つの袋に小さな消しゴムが数個入っていて実用的ではないけど、みんなで交換しあったりしてそれを集めたりしていた。
その洋子ちゃんは消しゴムを持っていなかったから、いくつか私の物をあげた。
よく、私のものやほかの人のものを頂戴とは言わないけど、いいなあ~的なことを言うので、初めのころは分けてあげたりしていた。
でも、だんだんそのほしそうな態度がうっとうしくなっていた。
私の小学校はお弁当持参でいつもは母親のお弁当。
だけど、周りの人がパンを売店で買うのを見て、母親にお弁当にパンを持っていきたいって言ったら、ご近所の八百屋さんに置いてある、母親チョイスのパンを買ってきた。
母親はメロンパン系が好きで、そんなシンプル?なパンを2個持って行った。
(本当は、チョコレートがかかっていたり、当時流行った売店のラスクが食べたかった)
私は母親に対して、遠慮がちな子供だったので、売店で買いたいとは言えず、それをだまって持って行った。
子供の頃はメロンパンなどのシンプル系?はあまり好きではなかったので1個はお昼に食べて2個目は持って帰り、放課後のおやつに持っていくことにした。
私の家は裕福ではなかったし、それを気にしてお小遣いもたまにしか頂戴とは言えなかったから、たまにおねだりする少ないお小遣いは、そんな消しゴムを買うためにとっておいた。
その日、洋子ちゃんと二人で小学校の近くの神社に行って遊んだ。
その時にお昼に食べきれなかった菓子パンをおやつに持って行った。
そこでおやつにパンを食べようとしたけど、やはり好きなパンではないのであまり食べる気はしなかった。(名前はミルクパンだったか・・・何もかかったり、入ったりしていないパン)
その時に、洋子ちゃんが欲しそうなそぶりをした。
私はそれに気づかないふりをして、神社の池の鯉に餌をあげようと言ってそのパンをちぎって池の鯉たちに向かって投げた。(鯉にパンをあげて大丈夫なのか??鯉が食べたのかも覚えていないが、その後も神社の鯉は元気に泳いでいたけど)

洋子ちゃんはもったいないみたいなことを言った。
夏休みだったか冬休みだったか長期休みの後、学校へ行くと洋子ちゃんが転校したと担任の先生が言った。
当時、連絡を取り合うすべを持っていなかったので長期休みの遊び相手は近所の幼馴染たちだ。
洋子ちゃんにちょっと意地悪をしたことを後悔した。
いや、本当は休みの間、ずっと後悔していた。
その後、しばらくして、洋子ちゃんの家の近所に住んでいる友達から、洋子ちゃんのお母さんは2度目のお母さんで、よく洋子ちゃんは家の外に出されて「ごめんなさい」って泣きながら玄関をたたいていたという話を聞いた。
そしてそのお母さんには本当の子供がいて、その子供とお母さんはまだその家に住んでいるみたいだという話も・・・
洋子ちゃんはお父さんと引っ越したのか??
もしかしたら、施設に入ったのか?(そんな噂があった)
親せきの家に行ったのか?(大好きなおばあちゃんの話をすることがあった)
真相はわからない。
当時私には、虐待などという発想はなかったけど、そういえば洋子ちゃんすごく小さくて痩せていたとか思い出して・・・
本当は虐待などではないかもしれないけど、洋子ちゃんに関しては転校後いろいろな噂を聞いた。
当時のちょっとした意地悪は、私のなかではちょっとした意地悪ではなくなっていた。
50年近くたった今でも、忘れられない過去となっている。
洋子ちゃんは、そのことを覚えているだろうか?
洋子ちゃんが今、幸せだといいなあ。